住吉だんじり祭り

毎年5月4日・5日には、本住吉神社だんじり祭りが行われます。

摂津の国兎原(うはら)郡の中心にある住吉は、山手には住吉川沿いに水車小屋が沢山並び、浜手には海岸に沿って灘五郷が広がり、字単位としては最大の村で、近隣で一番裕福でした。

また、本住吉神社は灘五郷のうち魚崎郷(東郷)、御影郷(中郷)、西郷の中心的存在で、現在の住吉、及び野寄、岡本、西青木の総社でもあります。本住吉神社の「本」は、大阪住吉大社の「本」(もと)の神社という意味と謂われ、お祀りされている神様は住吉大神神功皇后で、1800年以上の歴史がある神社です。

その住吉には現在7台のだんじりがあります。

1枚目・2枚目の写真は吉田地区のだんじりです。この地区の地車には毎年多くの子供達の参加があり、大きな声でかけ声を掛けながら力一杯曳く姿が見られます。





だんじりとは、関西・西日本の祭礼の曳きもので、特に神戸のだんじりは、車輪をつけた車上に人物・草木・鳥獣などそれぞれ自慢の彫刻や金糸銀糸をふんだんに使用した刺繍幕を飾り、鐘と太鼓で囃子を行い町中を練り回る地車です。

京都や飛騨の山鉾(やまぼこ)のように鉾は立てません。

また、御輿(みこし)との基本的な違いは、御輿は元来神社の所有物であるのに対して、だんじりは氏子のものと言えます。

だんじりは「楽車」、「壇尻」、「地車」と書き、古来の宮建築様式を縮小して取り入れた言うなれば移動式神社で、町中を練り歩くことで氏神様をそれぞれの地区にお迎えし、喜びと幸せを祈願することにあります。






右の写真は茶屋地区のだんじりです。

実は、もともと住吉にあっただんじりは、戦争によりその殆どが焼失してしまいました。

この茶屋地区のだんじり天保9年(1838年)の作で、現存する最古のだんじりのひとつですが、このだんじりも、もともと茶屋地区が所有していた物ではなく、大阪より購入したものです。




こちらは住之江地区のだんじりです。

この地区のだんじりは他の地区とは異なり、山形提灯も真っ赤で、その派手さが一際目立ち、宮入り時には他のだんじりにはない動きの大胆さが見られます。 

大工方(屋根の上の踊り手)の若者も人数が多すぎて屋根に乗り切れないほどの盛り上がりを見せ、また、通常は地区の会長や会計、若頭等役員で占められる筈の壇上にも、昔には見られなかった光景ですが、今では若いお姉さんたちが立ち、手に提灯を持って威勢よく囃子たてているのもこの地区のだんじりならではの特徴でしょう。




この写真は、空地区のだんじりです。こちらはもともと住吉にあるだんじりの中で現存する最古のだんじり(明治10年)と言われています。

本住吉神社の境内で宮入が行われているところです。

境内に勢いよく入ってきて、引き戻し、また突っ込んできては引き戻す。これを何度か繰り返した後、社の前で前を高く持ち上げ、同じ場所でぐるぐると威勢よく回します。勿論屋根の上の大工方や、役員、鐘・太鼓など20人近い人がだんじりの上に乗ったままで行われます。


今また活気を取り戻してきただんじり祭りも、高度成長期の一時期には衰退の一途をたどりました。かつては18台も宮入りをしていた住吉地区も、曳き手もないほどに人が集まらなくなりました。

昭和50年代に団塊の世代の人達が親となった頃、子供の頃に曳いただんじりの雰囲気を自分の子供にも曳かせて祭りの楽しさを味わわせたいという思いから再評価されるようになり復活してきているということです。

今、この地区に住む私たちは、昔からの伝統あるだんじり祭りを伝承し、すたれることのないように後世に受け継いで行く義務があると思います。





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