甲斐路 6の? 〜甲斐善光寺

浄土宗甲斐善光寺です。

武田信玄川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、板垣の郷(現甲府市善光寺町)に甲斐善光寺を開基、ご本尊善光寺如来像をはじめ、諸仏・諸宝物類を奉遷しました。


武田氏滅亡の後、ご本尊は織田氏、徳川氏、豊臣氏のあいだを転々としましたが、慶長3年(1598)に元の信濃善光寺に帰座されました。その後甲斐善光寺では信濃善光寺の前立仏として鋳造された阿弥陀三尊像をご本尊と定め現在に至っています。


前立仏とは、ご本尊様の代わりに安置された仏像のことです。

善光寺如来像は生身[=しょうじん](生命が宿っている)霊像として深く信じられていたため、この絶対の秘仏を民衆は拝むことができませんでした。

そこで前立仏として造立されたのが、この阿弥陀三尊像と考えられています。(写真=善光寺撮影)


甲斐善光寺には、金堂の天井に巨大な2頭の朱龍が描かれています。廊下の部分が吊り天井になっていて手を叩くと共鳴音が多重反響をします。日本一の鳴き龍として親しまれています。(写真=善光寺撮影)

また信濃善光寺と同じく金堂地下には「心」の字をかたどる真っ暗闇の戒壇巡りもありますが、こちらは信濃善光寺よりも一回り小さいようです。お戒壇巡りの中程にご本尊様とご縁を結ぶ鍵があり、この鍵に触れることにより死後は極楽浄土へ導いてくれるという言い伝えがあります。


宝物館には日本最古の彫像として知られる源頼朝像(写真右=善光寺撮影)や源実朝像、室町彫刻の秀作とされる聖徳太子像、そのほか釈迦涅槃像や善光寺建立の大檀那本田善光夫妻像などもあります。

クレオパトラ楊貴妃と並び世界の三代美人の一人といわれる小野小町像もありました。 が・・・

実は、この小野小町像、絶世の美人のハズ・・・ですが、今まで目にしてきた百人一首をはじめ数々の小野小町のイメージはまったくありません。つり上がった目をカッと開き、耳まで割けた口を持ち、ほお骨の張った般若か鬼のような顔をした小野小町像でした。 小野小町の性格はしりませんが、心の中を形にしたらこうなるのでしょうかねぇ。

撮影禁止で写真がなくて残念ですが、この像は小野小町老醜像といわれているそうです。(お〜、こわ〜