恵那旅行記 (5の5) 城下町、岩村町の古い町並み

鴨長明が身を寄せていたと伝えられる『土佐屋(河合家)』は紺屋で、藍染めの染物業を営んでいました。 






従来の染めの作業は仕事がはかどらないのでこれを効率よく量産できる方法として地面に正方形の穴を縦横に3列づつ掘って染料を入れ、そこに2本の足場を渡し、それぞれの穴の中央には瓶壺を設置して、その壺の中に燃料を入れる方法を考え出し、他では見られない画期的な工法で藍を染めたようです。




こちらは『勝川家(屋号松屋)』です。

勝川家のお座敷に通じる縁は、岩村城の遺構の一部が使われています。



当時、岩村藩の御用をうけ藩財政に大きく貢献した勝川家は、通用門をくぐると、その昔3千俵の米を納めたといわれる米蔵が扉を連ねています。

岩村城下の旧家は、間口に比して奥ゆきが深く、どの家も中庭を持っているのが特色です。これは京都の町家のような、間口に対する地租(税金)のためではなく、1軒でも多くの商家が道路に面するように設計された知恵です。

知恵といえば、この岩村藩が造った新しい城下町には2本の疎水が引かれています。これは、防火用水として、また野菜を洗ったり、洗濯をしたりするのにも使われていたようです。この用水は天正疎水』と名付けられ、現在も利用されています。 



勝川家には、大正時代に中庭の一部を取り壊して増築した離れ座敷がありますが、この天井板には屋久杉が張られています。そしてその2階は三方ガラス張りで、明るく、また眺めも良く、当時の贅が尽くされています。