岡山へ ? 〜日生漁港 寿司割烹「三宅」さん そこでは・・・

→岡山へ?より


現地でお別れした私たちは春の時期にサワラのたたきをよく食べに行く日生の寿司割烹三宅さんに向かいました。(右の写真は以前に撮影したものです)

外も真っ暗になった午後7時到着、暖簾をくぐって、お店に入り・・・。

あれ? いつもカウンターの端におられる倍賞千恵子さん似の女将さんがいらっしゃいません。

そこにはお嬢さんがおられます。

女将さんは組合の旅行かなんかなのでしょうかねぇ?

「お母さんは?」

お嬢さんとカウンターの中のマスター、二人揃って同時に「死にました」。

また、ご冗談を・・・。

「いえ、本当に死にました。8月26日にくも膜下出血で・・・」。

えぇ〜〜。あんなお元気だったこのお店のマドンナ的存在の女将さんが?

信じられません。

マスターもお嬢さんも信じられなかったって・・・。そりゃそうでしょう。私たちが信じられないくらいですから。

血圧が高かったのにお医者さん嫌いだった女将さん。

今から思うと、あの頃には頭が痛いとマスターの血圧降下の薬を飲んだり、ゴルフにも行きたくないと言ってやめたり、ある時は後ろ姿が心なしか寂しそうに見えたというマスター。




しばらく女将さんの生前の想い出話をして、ご自宅の2階に祀られている御霊前にお線香を手向けさせていただきました。

女将さん、どうぞやすらかに・・・。

マスターは、葬儀の翌日にはお店を開けられたそうです。じっとしていても居ても立ってもおられない心境でお店を開けて仕事をしていたほうが気を紛らわせられるからと。

二人のお嬢さんに小さいお孫さんたち・・・今までは女将さんがなにもかも面倒を見てきました。今度は自分が女将さんに変わって頑張らないといけないとおっしゃるマスター。

今はまだ気が張って気丈にしておられますが、四十九日が終わりしばらくすると女将さんの存在がないそのポッカリ空いた穴に、なにか気が抜けたように悲しみがドッとこみ上げてくることでしょう。

今回の岡山はもともと計画をしたわけでもなく、友人が和気鵜飼谷温泉に行くと言うことから衝動的に私たちも岡山にやって来ました。そして、友人に誘われた食事も一緒にすることもなく、なぜか私たちだけで日生にくることになりました。

今思うと、女将さんが私たちに会いたくて、自然と岡山方面へ来るように導き、呼んでいたのかと思います。


これからますます寂しさがつのり、お疲れも出ることと思いますが、マスターもお嬢さんもどうぞお気落としのございませんよう気持ちをしっかり持ってお身体ご自愛下さい。

最後に女将さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 合掌