あの日・・・

あの日、私たちは家族を乗せて、5人で茨城県まで家内の実家に向かって名神、東名をひた走っていました。

3人の子供たちはまだ幼く、車の後部座席で騒ぎ、賑やかな事この上もありませんでした。あまりにもはしゃぎすぎて、しゃべり疲れたのか、一人寝、二人寝と、とうとう3人とも寝入ってしまいました。

起きているのは私たち夫婦二人だけ。 何時間もの長距離ドライブにそのうち私たちの会話も途切れる間合いが多くなってきました。そして、疲れもピークに達した頃だんだんと睡魔が襲い始めました。

静かになった車内で、それまで入れていなかったラジオのスイッチを眠気覚ましもかねて初めて入れたのです。 すると――。

もう眠気なんか何処かに吹き飛んでしまいました。ラジオから伝わってくる情報を一言も聞き漏らすまいと、走りながらも耳だけはアナウンサーの悲痛な声に釘付けとなり聞き入りました。

家内の実家の水戸に着いて、義両親への挨拶もそこそこに、初めて見たテレビの映像には緑一面の御巣鷹山の斜面が赤く大きくえぐれている光景が撮し出されていました。 ああ、なんという悲惨な事故だったのでしょう。

今日はテレビのニュースでご遺族の方々の慰霊の登山を見た後、ボイスレコーダーに残された機長と管制官のやりとりや、その後のご遺族のお話などをお聞きしたり、血にまみれた書き殴りの手記を見せて頂いたりして、思わずあの日の大惨事が鮮烈に脳裏に蘇り、涙が止まりませんでした。

あの日からもう23年も経つのですね。 ・・・私たちの子供もみんな大きくなりました。