ひとりじめ

デコポンというのは清見オレンジとポンカンをかけ合わせた新種でね・・・こんな傑作は滅多にない」と、ご近所の八百屋さんの話から始まるエッセイが、今日の日経新聞の夕刊に載っていました。

筆者は哲学者の木田元さんです。

デコポンの由来も知りませんでしたが、それに続く木田元さんのお話があまりにも可笑しく、且つ微笑ましく思えましたので、『ひとりじめ』 せずに、皆さんにも笑っていただこうと、続く一部の文章をまる写ししましたので読んで笑って下さい。

 そういえば、今年、初夏というにもまだ早いころ、和歌山の友人が西瓜を送ってくれた。少し小ぶりなのが二つ。あまり早いのでびっくりしたが、包丁を入れると真赤に熟れていて、何とも豊潤な甘さだ。極度に皮が薄いので食べごたえもある。老夫婦で、食後に一切れずつ食べ、一日で一玉片づけてしまった。

 こんなにおいしいとなれば、近くに住んでいる次男一家の、せめて二人の孫にくらいは食べさせたいところだ。しかるに、翌日も朝と昼、食後に大き目に切ったのを一切れずつ食べてしまい、週末だからと、夕方次男一家が立寄ったころには、もう四人分は残っていない。ほかの到来物をご馳走して、西瓜の話はせずじまい。

 夕食後、口には出さなかったが、二人ともうしろめたい思いで最後の二切れをを平らげたあとで家内が、「とうとう孫にも食べさせないで、自分たちだけで食べてしまって」と言いながら、皮に貼ってあったラベルを眺めていたが、「いやだ、これ <ひとりじめ> っていう銘柄みたい」。 まるで人の気持を先どりしたようなうまいネーミングに、思わず笑ってしまった。


なんとも老夫婦の孫に対するうしろめたさが伝わってきて、奥さんの「自分たちだけで食べてしまって」と、ポツリという言葉に、その時の様子が目の当たりに浮かびますね。

そしてその言葉に続いて、西瓜の銘柄を見て苦笑するところなど、まるで小津安二朗監督作品のモノクロームの映画「東京物語」風に、笠千衆さんと東山千栄子さんが縁側でバツが悪そうに西瓜を食べているような光景を勝手に創作して、思い浮かべた想像の世界に一人で笑ってしまったduoさんでした。