騒ぐ子を教室の外へ放り出せるようになりました

遅刻をしては、廊下に立たされ、宿題を忘れてバケツを持って立たされ、ケンカをしては出席簿で頭を殴られ・・・こんなことは日常茶飯事でした。

時には耳をちぎれんばかりに引っ張られたり、チョークで坊主頭に力を入れて渦巻きを書かれたり(これは頭から血が出るのではないかと思うほど痛かった)、掃除道具のハタキやホウキの柄でお尻をぶん殴られたりもしました。

また、クラス全員の体罰では音楽室の膝ウラが当たるところが高くお尻の部分が下がっている湾曲した木製のベンチの上に正座をさされたり(これはスネが高くなった角の部分にあたり針のムシロ同然の体罰でした)と、私の小中学校時代は男先生も女先生も、やらなきゃ損(決してそんなつもりではなかったでしょうが)というほどに、体罰に苦しめられた記憶があります。

そして、そんな時代から教育ママという言葉が流行する時代へと移り、先生が児童生徒を軽く突(つつ)いただけでも親が職員室へ怒鳴り込んでくるような、子供可愛い、子供大事の過保護な時代が続きました。



文部科学相は5日、学校での体罰の範囲や出席停止の適用などについて、いじめや授業妨害などの問題行動を起こした児童生徒への指導のあり方をまとめ、全国の教育委員会などに通知を出しました。

通知は、学校教育法が禁じている「いかなる場合も行ってはならない」という体罰の基本解釈は変えてはいませんが、肉体的苦痛を伴わない限りは体罰ではないとして、放課後、教室で居残りをさせたり、授業中にその場で立たせたりするなどの懲戒行為を容認するものです。

また、教室で騒いで授業を妨害する児童生徒を教室の外へ出したり、携帯電話を預かったり、出席停止にしたりすることは「懲戒行為ではなく、学校の秩序を維持し、他の児童生徒の教育を受ける権利を保障する制度」と規定して活用できるようにしました。


私が育った時代の行きすぎた体罰や懲戒行為は、今の世の中で許されるものではありませんが、体罰や懲戒行為を全てを否定してきたために、学校そのものが荒廃し児童生徒の心の中までも荒(すさ)んだものになってしまったのではないでしょうか。

アメとムチという言葉があります。今の時代は甘やかしすぎるのもダメでしょうし、厳しすぎるのも許されません。しかし、この両方を上手に使って指導できる現場の熱血先生はまだまだ大勢おられると思います。反面、でもしか先生がいることも事実ですが・・・。(でもしか先生とは、先生にでもなろうか、先生にしかなれない、という熱血先生にはほど遠い頼りない先生の蔑称です)

児童生徒が健全な学校生活をおくれるように、親の側も熱心な先生には協力を惜しまず、健全な我が子の成長を願い、家庭と学校が一体となって考えなければならない時が来ているのではないかと思います。また、文部科学省には、そういう教育ができる指導要綱の作成を望むところです。 今回発表された同省の通知は、その第一歩となるべきものでしょう。








(写真)
12月15日の参議院本会議における伊吹文部科学大臣参議院事務局提供)