石垣に移住した女性からメールが・・

7〜8年前になりますか、ある馴染みの居酒屋さんで親しくなった女性客と、その後ずっとお付き合いが続いています。

彼女はダイビングが趣味で沖縄の久米島によく行っていました。身体がご不自由なお父様と二人暮らしの生活ををしていましたが、そのお父さまが4年近く前にお亡くなりになられてからは、一大決心をして単身石垣に移住することになりました。

石垣に渡って3年、「なんくるないさ」(なんとかなるさ)と割り切り、現地の旅行会社に勤め今は昇格も果たして活躍をしている彼女に力強さを感じたものです。

そんな彼女が最近少し弱気になっています。彼女の住んでいた神戸の家はその後無人のままになっていて、これから先それを処分するべきかどうかと悩み、今なお沖縄人になり切れていない自分をこのままでいいのかと悩み、また仕事上の人間関係や結婚の悩みなど、メールや電話で、そして法事で神戸に帰って来た時には会って相談を受け、その都度つたない人生相談のお相手をしている状況です。

そして夕べ遅く彼女からメールが入り、急遽高校野球の応援団の添乗員として大阪のホテルに来ているとの連絡がありました。そして、もし用事がなければアルプス席で今日の八重山商工の応援に来て欲しいとのオファでした。

幸い今日は何も予定が入っておらず、彼女に会うのも久しぶりなので、応援に行くことにしました。

仕事で来ている彼女とは、そんなにお喋りばかりしてはおられませんでしたが、添乗員としてテキパキとした仕事ぶりを見て、少しは安心をしたものです。『神戸に来ているけれど、仕事なのでお墓参りにも行けない』と、彼女はアルプス席の一番高いところからお墓のある方向に向かってそっと合掌をしていたのが印象的でした。



1塁側の長野代表、松代学園のアルプス席は一糸乱れぬ組織応援で応援合戦では完全に負けていましたが、3塁側アルプス席は超満員。石垣島からは勿論、故郷を遠く離れ、さらに甲子園からも遠い名古屋方面からも応援に駆けつけたというグループもおられ、島人(しまんちゅ)の仲間意識を強く感じました。




試合の方は3回無死二塁のピンチを迎えた頃から雲行きが怪しくなり、その後約50分間の雷雨による中断がありました。その間アルプス席ではずぶ濡れになりながらも指笛がずっと鳴りやまず、この2回戦は5対3と勝ち進むことができました。




添乗の彼女は明日には勝利の歓喜とともに一旦石垣へ帰りますが、八重山商工の進撃が続く限り、再び甲子園で会えることでしょう。

『いつも喉の小骨が取れないみたいに、神戸の家・お墓が気がかりです』とメールをしてくる彼女も、今日ばかりは甲子園ツアーの島人のお客さん達とともに喜びを分かち合い、喉の小骨のことは忘れていることでしょうね。




まずは、八重山商工の勝利、おめでとうございました。

ちばりよ〜(がんばれ)! 




朝日新聞社説 『高校野球』 (2006/08/05) から
 . . . . . . . . 『自分を信じ、夢つかもう 』
 石垣島沖縄本島より台湾の方が近い。東京から2千?も離れた南海の小さな島の高校が、夏の甲子園の切符を射止めた。沖縄県八重山商工高校。31人の野球部員は、ほとんどが島の子だ。夢はかなうもの。そう実感させる快挙である。

 6日に開幕する全国高校野球選手権大会は今年で88回目となる。本土から遠い離島の高校が代表になった例は、長い大会の歴史で始めてのことだ。

 国の振興策の対象となる離島は全国に312ある。人口4万7千の石垣島もその一つ。所得や教育など本土との格差を感じてきた島人たちは、「奇跡に近い」と沸き立っている。

 夏の甲子園大会に、沖縄から出場を果たしたのは58年、沖縄本島にある首里高校が最初だった。石垣島には三つの高校があるが、これまで何度も本島の学校に挑み、跳ね返されてきた。

 この春の選抜に続き、今回、初めて自ら代表の座をつかみとった。小柄な生徒が多いが、どの顔も輝いている。八重山商工の添石邦男校長は「野球部が与えた自信と誇りは、ほかの生徒たち一人ひとりも輝かせてくれるはず」と喜ぶ。島内の中学3年生は約600人。多いときは約80人が沖縄本島や本土の高校へ出て行く。大学はなく、高校を卒業して島を離れる若者はさらに増える。

 野球部は約400?離れた沖縄本島に試合に行くたびに、1人3万〜4万円の負担がかかる。試合の相手を探すこともままならない。

 大浜長照・石垣市長は「進学で島外に出た子どもの7割は戻らない。島の子どもたちのために、誇れる故郷にしたかった」と話す。市長自身の発案で、島の少年野球チームを全国一に導いた石嶺監督を口説き八重山商工の監督に就いてもらった。小さい頃から生徒達を知り尽くしている監督の下で、人一倍の練習を積んだ。強さのもとは、ただそれだけだ。

 高校野球少子化の影響を受けている。都会でも地方でも学校の統廃合が進み、今年の地方大会には複数の学校で構成する59の連合チームが出場した。参加校は3年続けて減っている。 

八重山商工の奮闘は、沈滞しがちな過疎地域や離島に暮らす人たちに希望や勇気を与えるに違いない。大海歌「栄冠は君に輝く」は、毎試合、グラウンドを整備するとき甲子園球場に流れる。今年の歌声は夏川りみさんだ。実家は石垣市の中心部にある。

 彼女自身、14歳で上京し、27歳でヒット曲「涙そうそう」を出すまで挫折の日々を味わった。ひたすら自分を信じて歌い続けてきたと言う。大会歌にも「自分を信じて」との思いを込めたそうだ。

 勝ち上がってきた49代表には、それぞれのドラマがあったにちがいない。選手たちは、大会歌にこめられたメッセージを胸に刻み、悔いのないプレーをしてほしい。