生きる力と学力向上

兵庫県南東部のお天気 」lammyさんの[ 知識を知恵に変える] からトラックバック

コメントで入れるのには、少し長くなってしまいましたので、トラバして、私のつたない意見を述べさせて頂きます。 もし、お考えが違えば、読み捨てて下さいませ。

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私が思うに、学校の先生は、基本的にはアネゴさんのいう「学び」のための、あくまで「手段」までを担っていると思います。

私は、「学び」はあくまで、自分自身で学び取るものと、思っています。

大学に合格するためにいかに効率よく勉強するか、と情報収集から分析までされたアネゴさん、あなたは決してアホではありません。(モチ、謙遜だとは分かっていますが・・・ ホントにあほだったら、まずそういう事を考えない・・・ (^^

大学受験のために学校(教育)は「手段」を与え、あなたはそれに戦略をたてて攻略をしました。要するに自分自身で「学んだ」のです。その「学び」が人間を形成していくのだと私は考えます。

だから、学校で教えて貰った「手段」は、何年か後に記憶の中から忘れても場合によっては良いものがあります。(もちろん忘れないにこしたことはありませんが・・)アネゴさんの言っておられた歴史年表などは、その典型的な例でしょう。

 >自分の考えをまとめられたり、意見を言えたり
 >表現できるようになるのが「学び」ではないでしょうか。
 >そして、子どもたちをそのようにナビゲートするのが、
 >教師の役割ですよね?
 >「単語を覚えさせること」が教師の役割ではないはずです・・・。

そうです。自分の考えをまとめられたり、意見を言えたり、表現できるようになるのが「学び」です。

でも、子供たちをそのようにナビゲートするのが、学校の教師の役割とは決めつけられません。「単語を覚えさせること」も教師の役割のひとつだと思いますし、それだけが教師の役割とも思いません。

また反面、教師にだけナビゲーターの役割を押しつけることでもありません。金八先生のような熱血先生もおられますし(そういう先生が増えてほしいとも思いますが)、そうでないデモシカ先生もおられます。(先生にデモなるか! 先生にシカなれない・・・)

だから、あなたの「生きる力と学力向上」の記事のコメントに書いたとおり、そういう熱血先生がおられない限り学校で勉強しただけでは、或いは塾で希望校への入試のための勉強だけでは、その子の教育は、偏ってしまい、片手落ちとなります。

一流大学を出ていても、難しい医療教育を受けて医者になっても、その専攻分野以外では無知なのです。まさしくもうひとつの教育、教養がなっていないのです。

そこで、そういう学校の勉強以外の教育や教養を、最初に述べたように自分自身で(アネゴさんのように)学びとることができれば申し分ないのですが、それをできる子供がとても少ない。

だから金八先生に巡り会わない子供たちのために、そのもう一つの学校以外の「学び」を手助けしてやり、またバランスよく身につけさせて1個の人間としての人格を形成させる役割を、アネゴさんには担ってもらいたいと思っているのです。

アネゴさんの言われる通り、学びとは、「知識をいかに知恵に変えるか」・・・そのとおりだと思います。

私は教師でもなんでもありません。

にもかかわらず、知ったような生意気な意見を書きつづりましたこと、お許しください。