『ら』抜き言葉
10年ほど前の話です。
あるテレビの番組に出演した時に大失敗をしたことがありました。
番組のお話の中で、
「タバコはやめれる――」
と、思わす言ってしまいました。
そう、『ら抜き言葉』です。
すんなり映像だけで流してくれればまだ良かったのですが、後で放映された番組を観ると、私の話している言葉がすべて画面の下にテロップで流れ、問題の部分は「タバコはやめられる――」と正しい言葉に置き換えられていました。
テレビを観ていた人たちの内どれだけの方が気がつかれたかは分かりませんが、あの時ほど顔から火が出るほど恥ずかしかったことはありませんでした。
その時以来、『ら抜き言葉』には注意を払い、『ら』を特別意識して喋っています。
ただ、バラエティ番組などでタレントさんが話している言葉を、同じように字幕を入れてテロップを流している中には『ら抜き言葉』が訂正されずにそのまま間違ったままで流されていることもあり、この番組はイケていないなあなんて思うこともしばしばありますが・・・。
ところが、実際には使い方によっては『ら』は要らないんじゃないかと思う時があり、敢えて『ら』入れるとあまりにも不自然になり、自分自身その基準の曖昧さに疑問を持っていました。
例えば、「『ら抜き言葉』だと言われた」という言葉に、『ら』を入れると「『ら抜き言葉』だと言わられた」となり、全くおかしな日本語になってしまいます。
このような明白な言葉なら迷うこともないのですが、中にはさんざん考えた末に結局間違った使い方をするようなこともあります。
今日の神戸新聞「チャレンジ日本語検定」にこの使い分けの詳しい特集がありました。
この特集の中に、次の文の中で表現が適切でないものを選べという問題がありました。
少しアレンジしていますが、皆さんも挑戦してみて下さい。
?そんな漢字ならぼくにも読めるよ。
?そんなややこしい話はとても覚えていれない。
?おいしいものはいくらでも食べれるよ。
?あんなに速く走れるわけがない。
分かりますか? どれがマチガイなのか・・・。
また、その基準は何なのか・・・。
実は口語文法のなかに「れる」「られる」といる助動詞があります。
これらの助動詞は、動詞について受け身・尊敬・自発・可能の意味を加えます。
ただ、その動詞の活用形によって「れる」と、「られる」が使い分けされるのです。
「れる」は上一段活用、下一段活用、カ変の動詞では使われないという約束があります。
例えば、
起き(上一段)・られる
食べ(下一段)・られる
来(カ変)・られる
これらは、いずれも『ら抜き』では約束事に反することになります。
また、五段活用とサ変の動詞は、『ら』を付けずに『れる』だけとなります。
読ま(五段)・れる
さ(サ変)・れる
従って、先ほどの問題の中で間違った使い方をしているのは?と?です。
?そんなややこしい話はとても覚えていられない。
?おいしいものはいくらでも食べられるよ。
これが、正しい使い方です。
お陰様で、私の迷いは今日の解説のおかげでスッキリしました。
皆さんもどうぞお間違いをされませんように・・・。