紫色のモヤに魅せられ

故瀬崎晴夫氏の一枚の作品に興味を持たれたことに端を発し、20余年もの年月をかけてその足跡をたどられている平野杳さん。

杳さんは、その絵のかもす遙遠な古里に余程取り憑かれてしまったのでしょう。彼女は今、瀬崎晴夫氏の評伝の出版に取り組んでおられます。 

9月12日の下拙ブログ「瀬崎晴夫氏の評伝の出版にエールを・・・ 」に、8月29日付神戸新聞記事と併せて掲載いたしました。

杳さんが単に瀬崎氏の絵画のファンであるとか、或いは同郷のよしみというだけでは、これだけのご研究はできなかったことでしょう。


新聞に評伝出版の記事が掲載された1ヵ月後の9月29・30日の両日、スウェーデンバルト海に面した小さな町シービックで「瀬崎晴夫生誕百年記念展」が開催されました。

杳さんはこの式典に招待され、また神戸新聞社からも現地の様子の寄稿を委嘱されました。

その新聞記事をご紹介します。


神戸新聞 2007年10月17日(水)

 . . . . 瀬崎晴夫生誕100年 スウェーデンで記念展

今年は欧州で活躍した但馬出身の画家、瀬崎晴夫の生誕百年にあたる。瀬崎は太平洋戦争中、パリからスウェーデンに渡り、そのまま永住。王立アカデミー会員に選ばれるほど高く評価された。9月にスウェーデンで開かれた「生誕百年記念展」を訪れた神戸市在住の平野杳さんに、現地の様子について寄稿してもらった。


 . . . . . . . 〜紫色のモヤに魅せられ〜 . . . 平野杳

 「嫌な天気だね!」
 どこからか、瀬崎さんのかすれ声が聞こえてきそうな風雨。9月末のスウェーデンは早々と冬を迎えていた。
 「こんな日は外で描けないから、ハルオは友人たちの家のドアをノックするんだよ。ワインをシムリスハムンの町で買ってきて・・・一日中おしゃべりするんだ。おやじも同じ絵描き、のんべえだったよ」。
まるで昨日のことのように半世紀ほども前のことをポー・フルテンさんは身振り手振りで再現する。
 ポーさんだけではない。瀬崎さんの友人を両親に持つ人たちは同様に、いきいきと語る。「僕たちこどもも、大人と同じ扱いをしてくれたね、セイムパーソン」「折り紙を教えてもらったわ」「こんな唄を教えてもらったわ。・・・トーケテナガレエノーエ、トーケテナガレテノーエ、サノホイホイ。日本の童謡なのかしら?」。一緒に笑ううちに、冬の寒さに震えていた身体がじんわりぬくもってくる。
 2007年9月29・30日の両日、秋のリンゴ収穫祭アプルマーケットの開催に合わせてバルト海の海辺の小さな町シービックで催された「瀬崎晴夫生誕百年記念展」の会場は終日(といってもオープンは正午から夕方5時までだが)賑わい、瀬崎さんの友人、その子、孫を含め800人を超える人たちがやってきた。
 1907年9月12日、兵庫県城崎郡(現豊岡市日高町久田谷に、瀬崎菊蔵・まつ夫妻の次男として生まれた彼は、1929年パリに渡り、岡鹿之助、鈴木龍一らと三人展を催し、互いに励ましあいながら画業に邁進した。ある年の三人展では、「影を描かない不思議に透明で詩的な形式は彼独自のものである」と仏誌に紹介され、喜んで日本にいる友人にその記事を送りもした。
 戦争を機に、スウェーデンに移った。それまで生活費を捻出するために働いていた軍の事務所がスウェーデンに新設されることになり、一緒に来ないかと旧知の武官に誘われてのこと。1942年6月。暗く長い冬を終えた北欧が最も美しい自然の姿をみせてくれる幸せな季節だ。
 「スウェーデンの南部、このスコーネ地方で、僕は美しい紫色のモヤを見つけました。南フランスとおんなじ美しい紫色の光線です」。永住の地と決めた瞬間だったのかもしれない。海岸風景、花、なだらかな山、会場には48点の作品が並んだ。1977年8月28日に亡くなる直前まで描き続けた作品は、今もこの地の人たちの家に架けられている。
 「スウェーデンはコミューンで暮らしているから、新しく入ってきた人は20年たっても30年たっても新しい人なんですよ。生誕百年でこれだけの人が集まる。すごいですね」。オープニングで流暢なスウェーデン語で挨拶をした日本国大使館一等書記官の渡辺慎治さんに教えられ、なるほど、そうなのか、と思った。瀬崎さんはこれからも「新しい人」であり続けるのだろう。「新しい人」はスコーネ地方に暮らす人たちの住みなれた自然を、全く違った姿に生まれ変わらせた。
 ちっぽけなヤポンスカ(日本人)の私にできた瀬崎さんの若い若い友人たちへのお礼は、ベルニサージュ(前夜祭)の会食に集まった50人の客のワイングラスの足下に、小さい折り鶴を添えること、それから、キャンパスの裏に書かれた日本語の題をおぼつかない英語に直すこと、だった。

 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . (著述業)




瀬崎晴夫の遺作48点に加え、日記や写真なども展示された会場=スウェーデン・シービック市内(9月28日、平野さん撮影)




 ひらの・よう = 1950年兵庫県日高町(現豊岡市)生まれ。瀬崎晴夫の青年期を描いた「ビョールヌフルーカ」の群生する村で−ウステルレーンの画家になった東方人−」で86年、神戸市民文芸記録文学一席を受賞。個人誌「二人静」に小説「はみーご」などを発表。神戸市灘区在住。

※「瀬崎晴夫生誕百年記念展」に日本から参加したジャーナリストとして、現地の新聞にも掲載されました。



Best honor to Ms Hirano Yoo to use photos