コンコルドの誤り

日経新聞の夕刊に「あすへの話題」というコラムがあり、民間の著名な方々が代わる代わるにエッセイを発信しています。

夕べの記事は、アドバンテスト相談役の大浦溥氏によるコンコルドの誤り」というタイトルでした。

コンコルドの開発計画は大幅に遅れ、費用が予算をはるかに超え、途中で「中止した方が損失額は軽微で済む」という結論が出たが、計画は中止されることなく、膨大な資金が追加投入され、採算ラインの250機をはるかに下回る16機しか契約できずに、結果として事業は完全な失敗に終わったというものです。

この記事の中に、氏は『最近、警察大学校樋口晴彦教授からコンコルドの誤り」という言葉を教えて貰った』という下りがあります。組織行動学では、「過去」に執着した結果、失敗に至る行動をすることをコンコルドの誤り」と言い、こういう岐路に立たされることは私達の経営判断でもよくあることで誠に悩ましいと述べておられます。

そのコンコルドの誤り」(Concorde fallacy)は、「コンコルド錯誤」とか「コンコルド効果」とも言われ、生物学者で行動生態学者の長谷川真理子さんは自著の科学エッセイ 『科学の目 科学のこころ』 岩波新書)の中で、コンコルドの誤り」と題して動物の本能についての記述があるそうです。私は読んでいないのでその内容は分からないのですが、書評の中に、『動物の場合、ある雄が雌に求愛して相当な投資をしている場合、気持ちを切り替えて他の雌に求愛することはなかなかできない』と書いてあると言い、また他の書評では、『動物の場合、ある雄がある雌に長期間求愛したにも関わらず結ばれないときに、求愛に応じる可能性のある新しい雌が現われると、その雄は過去の投資量にとらわれずに、新しい雌にに乗り換える』と書いてある、とまったく逆の説を言っています。どちらが正しいのでしょうか?これについては、実際に読んでみないと分かりませんね。

一般的な経済社会の中でのコンコルドの誤り」を例えて言うと、あるプラントにおいて、これ以上投資をしつづけると、金銭的にも精神的にも時間的にも更なる損失につながっていく・・・それがハッキリとわかっていても、せっかく今まで膨大な投資をしてきたのだから、途中でやめてしまうのは「もったいない」という状況に陥ることがあります。

しかしながら、この「過去」の投資を、スッパリと諦めて切ってしまうことができず、いつまでもその「過去」を惜しみ、執拗にその「過去」に拘(こだわ)って、更なる投資を継続してしまい、揚げ句はすべてが失敗に終わり、途中でやめた場合よりもはるかに膨大な損失を被ってしまう、そんな現象のことを言います。


私も自身の過去を振り返ると、自分の考えやプライドを捨てきれず、結果失敗に至った、プチ「コンコルドの誤り」が多々あると反省をすることしきりです。

今、話題かまびすしい、滋賀県栗東市『新幹線新駅問題』 は「コンコルドの誤り」に当てはまるのでしょうか。

今年7月2日の滋賀県知事選挙で当選した新人の嘉田由紀子さんが、『もったいない』をスローガンに、東海道新幹線の新駅建設凍結を訴え、県民の支持を得て当選しました。

しかし、プロジェクトはすでに始まっており、新駅建設は本当に“無駄”なのか、建設費を負担してる地元自治体は工事を止められるのか、また凍結による県の負担はどうなるのか、地元では混乱と反発が噴出しています。

また一方、今年2月16日に開港した『神戸空港』はどうでしょう。

当初の神戸国際空港建設案は市民の猛烈な反発を受け、候補地は大阪府泉南市に移り、「関西国際空港」が建設されました。しかし、その後自治体のごり押しで地方空港としての「『神戸空港』建設」が再び議題に取り上げられ、近くに空港が2つもあるにも拘わらず、 「神戸空港裁判」 展開の中、市民の反対、近隣府県の反対を押し切って開港に至った経緯があります。

これも神戸の一市民としては「コンコルドの誤り」に終わらなければいいなと思っています。


国や自治体などのプロジェクトの中には、ダムや干潟埋め立て、高速道路のほか、数え上げるとキリがないほどのコンコルドの誤り」が存在します。

願わくは、国や自治体、第三セクターなどが手掛けていて、私たちに直接影響や被害が及ぶ可能性の高いコンコルドの誤り」らしきプロジェクトは、初期投資を捨ててでも計画を中止する勇気を持って欲しいものです。