追っかけて・・・ バレンタイン・チョコ
またまた、ぷりんちゃんから宅配便到着です。
我が家の大好物、嬉野温泉湯豆腐とチョコが入っていました。
バレンタインの贈り物はもう頂いているのに・・・。
送り状には、「温泉とうふ、水」とだけ・・。(笑)
先日からお店へ行っても、売り場になかったって。
人気が高いんだ。
やっと見つけてくれて贈ってくれたようです。
せっかく送ってくれたのですが・・・、
ゆうべ、お取り寄せのちゃんこ鍋を食べたばかりです。
実は孫がお豆腐大好きなんです。
前々から一度温泉湯豆腐を食べさせてやりたいと思っていましたので、ちょうどいい機会ですから、すぐに転送する事にします。
このとろける温泉湯豆腐を孫にも経験させてやりたいのです。
幸い賞味期間も8日までありますし・・・。
きっと喜んでくれると思います。
それと、有名焼酎を閉じこめた生チョコが2箱。
スゴイッ!
田苑酒造の「五百年蔵」と伊佐美酒造の「伊佐美」です。
これは、楽しみですねぇ。
こちら、「五百年蔵」を封じ込めた生チョコ。
「五百年蔵」は、25年連続優等賞受賞の甕壺仕込みの芋焼酎です。
そしてご存知、元祖プレミアム焼酎、「伊佐美」。
芋焼酎「伊佐美」は決まった量しか生産しないため、入手困難で有名な幻の焼酎とも言われています。
その「伊佐美」を注入した「伊佐美生チョコ」です。
これはもう、楽しみ倍増です。
一粒づつ、大事、大事に・・・。(笑)
ぷりんちゃん、お金いっぱい使わせちゃいましたね。
ありがとうございました。
節分
今日は節分。
節分の煎り豆や五色豆をいっぱい買ってきました。
本日我が家や事務所に出入りのあった人たちに差し上げました。
新聞配達のお兄ちゃんたちにも、宅急便のお兄ちゃんにも・・・。
写真は天満の天神さんこと 大阪天満宮の楼門天井にある干支方位図です。
今年の恵方は東北東とか・・・。
その恵方に向かって巻き寿司を無言でかぶりつく・・・
実は・・・その予定でした。
ところが、1月半ばにデパートで頼んでおいた「ちゃんこ鍋」が偶々今日のお昼すぎに届きました。
届いたちゃんこ鍋を見て想い出しましたが、実は昨年もこの季節、同じデパートで同じちゃんこ鍋を取り寄せて記事にあげていました。(汗)
こちらは冷蔵品・・・今日中に食べないと鮮度が落ちます。
巻き寿司とちゃんこの両方はとても一度には食べられません。
仕方なく、まだ作っていない巻き寿司は明日までお預けということになりました。
これって、一日ずれて立春に食べても、恵方に向かっての丸かじりの効果はあるのでしょうかねぇ?(笑)
今日は午前中から雨模様でとても冷えます。その上、二人して風邪気味でもあります。
そりゃ、いくら具だくさんのお手製の巻き寿司であっても、こんな日は温ったかい「ちゃんこ鍋」の方がいいですものね。
京都、二子山部屋、元若獅子関直伝の季節料理「門」のちゃんこ鍋。
昨年よりも内容は、はるかに充実したように思えます。
九条葱、京人参、京水菜など京都厳選食材使用のお宝鍋・・・。
京都丹波町のもち豚、京赤地鶏、京湯葉・生麩に京揚げ、大本山南禅寺御用達の豆腐、京都浜長の蒟蒻・・・。
そして風味豊かな特製肉団子には13種類の材料を用い、秘伝の出し汁に旨みが出るよう工夫しているとか・・・。
最後の仕上げに丸中製麺の煮込みうどんも2玉ついています・・・。
2人前だっていうけれど、食べきれるかなぁ?
何はともあれ、いっただきまぁ〜〜す。
早やっ!
duoさん、宅急便です。
は〜い、ご苦労さまです。
ぷりんちゃんから LUPICIAのバレンタインギフトです。
早やっ! まだ2週間も先の話じゃないの・・・。
中にカードが入っています。
「duoさま
いつも楽しいコメント有難うございます。
頑張れたり、へこんだりしながら 楽しんでます。
これからも仲良くしてください。
. . . . . . . . . . . . . . . ぷりんちゃん」
これからも仲良く・・・って、怒らせるなってことなんだろうか? (笑)
包みの中身はLUPICIAのバレンタイン プチ缶です。
オランジュ ショコラ、 バナーヌ ショコラ、 テ オ ショコラ、 チョコ ミント、 マロン ショコラの5缶。
「コレも一緒に入れてください」
って、ルピシアさんにお願いされたのでしょうか?
九州からなのに、なぜか山形は庄内の葛菓子です。(笑)
頂いておいて何ですが・・・、
和菓子である葛菓子は、抹茶、煎茶ならともかく、チョコレートのフレーバーティーでは、取り合わせにギャップがあり過ぎませんか?(笑)
朝からノドが痛いと言っていたウチのお愚ちゃま、
私に断るでもなく、
「葛湯は風邪にいいのよね」なんて言いながら、
さっさと葛菓子をお湯に溶いて飲んでいました。
たしかに、漢方の葛根湯(カッコントウ)はこの葛が原料ですから、これが役に立つなら、それに越したことはありませんが・・・。(笑)
ぷりんちゃん、どうもありがとうございました。
白洲次郎と白洲正子展
「白洲次郎と白洲正子展」(2009年1月28日→2月9日)を大丸ミュージアム神戸で観てきました。
実は、恥ずかしながら、私は「白洲次郎」さんのことも、その奥さんである「白洲正子」さんのことも、なにも知りませんでした。
動乱の時代を確固たる価値観を持ちつづけ、互いの生き方を尊重し、見守りながら生きた白洲次郎さんと白洲正子さん。厳しく、そしてしなやかに激動の時代を美しく生きたふたりの生涯を紹介する展覧会が大丸ミュージアム神戸で開催されています。
本展は、「白洲次郎の生い立ちと自分の信じたプリンシプル(原則)」、「白洲正子の強い個性と美意識を貫いたコレクション」、「次郎と正子が武相荘に移り住んだ後の生活」の三部作で構成されています。
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兵庫県三田市の名家白洲家は神戸で綿貿易商として巨万の富を築きますが、白洲次郎(1902〜1985)は、神戸の隣町、芦屋市で白洲家の次男として生まれ育ち、神戸一中(現県立神戸高校)を卒業後、英国ケンブリッジ大学に留学します。
留学中に、仲間とグループで群れて行動することが苦手だった次郎は、性格の似たロビン(7代目ストラッフォード伯爵ロバート・セシル・ビング)と親しくなり終生の友となります。
当時この二人は、ブガッティやベントレーを乗り回し、「オイリー・ボーイ」のニックネームを持つほどのカー・マニアでした。
次郎はこの留学中に英語力と英国風マナーを習得し、ダンディなジェントルマンへと変身していきます。
次郎の愛用のブランドは、ダンヒル、ロレックス、ルイ・ヴィトンからエルメスにまで及び、会場にはそれらとともにヘンリー・プールのスーツやヘンリー・ヒースのシルクハット、ベンソンの懐中時計、ルイ・ヴィトンのトランクなどが展示されています。
白洲次郎は、「いいものを使えばホテルでの扱いが違うよ」と言って、後に娘の桂子(かつらこ)がパリに留学する時にルイ・ヴィトンのトランクを持たせていますが、このことからも彼の信じたプリンシプルの一環が覗えます。
英国留学中の昭和3年(1928年)、父の経営していた白洲商店が昭和金融恐慌の煽りを受け倒産したため、帰国して日本の英字新聞社に就職します。
その年、伯爵・樺山愛輔の娘、正子と知り合って、翌1929年、27歳で結婚。
その後、日本水産の前身である日本食糧工業の取締役となりますが、海外に赴くことが多かった次郎は、当時駐イギリス特命全権大使であった吉田茂との面識を得、終戦後は、吉田茂の側近としてGHQとの折衝に奔走、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行することになります。
この時、首席全権であった吉田茂首相の受諾演説の原稿に、奄美諸島、琉球諸島(沖縄)並びに小笠原諸島等の施政権返還を追加させ、更に原稿を英語から毛筆の日本語に書き直したというエピソードもあり、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」とまで言わしめたと言います。
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一方、明治維新の立役者である樺山伯爵家の次女として東京で生まれた白洲正子(1910〜1998)は、幼少のころから能をたしなみ古典芸能に通じて育ち、14歳でアメリカに留学しました。
女性で初めて女人禁制の能舞台に立ち、能を舞った人物としても知られています。
帰国後、18歳のときに、次郎(26歳)と出会い、お互いに一目惚れ、翌年19歳で白洲次郎と結婚します。
その後、優れた審美眼を持つ正子は、ジャンルを問わず美しいものに注がれ、染め、織り、陶磁器、木工など様々な分野の職人とその技を愛しました。
戦後は骨董蒐集や文筆活動など生涯を通じて、権威や世評にとらわれない独自の「美」の世界を求め続けた正子は、『美しい骨董を見ることは、そして使うことは、自分を豊かにすることだ』と言って、自らの美意識を貫き通します。
正子が銀座で経営していた染織工芸店「こうげい」では、そこで見いだされ、技を磨き、のちに人間国宝となった職人や、世界の頂点に立つファッションデザイナーなど多くの匠が育ち、世に送り出されたということです。
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白洲次郎は、吉田茂の退陣後、実業界に転じ、東北電力会長や、創設間もない日本テレビ等の役員や顧問を務めながら、戦後の日本の奇跡的な経済復興の立役者としても活躍します。
また1942年(昭和17年)には、日本の敗戦を予測して、鶴川村能ヶ谷(現町田市)にある養蚕農家の面影を残す茅葺きの古家を買いとり、これに「武相荘」と名づけて移住しました。
「武相荘(ぶあいそう)」の名前の由来は、相模と武蔵の境にあることに因んでいるそうですが、「無愛想」にもかけて名付けられたとのことです。自らを「カントリージェントルマン」と称し、仕事のみに明け暮れるのでなく、田舎暮らしを楽しむ優雅さも持ち合わせていたそうです。
「旧白洲邸 武相荘」は、昭和の激動期をその中心に身を置きながら生きてきた白洲次郎の安息の地として、今も変わらぬ姿を見せてくれています。
大丸ミュージアム神戸では、日本の敗戦を見越してふたりが移り住んだこの鶴川の武相荘(旧白洲邸)での部屋と食卓の再現を通して、その暮らしぶりも紹介しています。
80歳まで1968年型ポルシェ911Sを乗り回しゴルフに興じていた次郎。そして、日本人で初めてジーンズを履いた男と言われる次郎ですが、昭和60年(1985年)11月に正子夫人と伊賀・京都を旅行後、体調を崩し、同年11月28日死去、83歳で没しました。
夫人の正子と子息に残した遺言書には「葬式無用 戒名不用」と記してありました。
生前、夫婦円満でいる秘訣は何かと尋ねられた白洲次郎は、『夫婦円満の秘訣は、一緒にいないことだよ』と言っています。
そしてその13年後、1998年に正子が没します。自分の眼で見、足を運んで執筆する姿勢は、終生変わらず、次郎と同様、葬式はせず、戒名もありません。
正子の人気は死後もなお高く、再編集の著作などが出されており、2001年には『白洲正子全集』全14巻(新潮社)なども刊行されています。
互いの生き方を尊重し、見守りながら生きた次郎と正子。確固たる価値観を持ちつづけ、厳しく、そしてしなやかに激動の時代を生きたふたりの生涯を、この「白洲次郎と白洲正子展」で学びました。
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昨年(2008年)には宝塚歌劇団・宙組(そらぐみ)が、『黎明の風』という題名で次郎の波乱の生涯を扱った公演を組みました。
また今年(2009年)はNHKドラマスペシャル『白洲次郎』が全3回にわたってオン・エアされます。(第1回2月28日 「カントリージェントルマンへの道」、第2回目3月7日 「1945年のクリスマス」、最終回2009年中(放送日未定) 「ラスプーチンの涙」)
今回、大丸神戸店6階紳士服売り場「ヘンリープール」コーナーでも、ミュージアムの展覧会と併行して白洲次郎がヘンリープールに残した「勘定台帳」の複製や英国のヘンリープール アーカイブコレクションから貸し出されたドレスコートなどが1月28日から2月17日まで特別展示されています。
女試し。
いつの時代においても女性にとって「恋愛」は最重要関心事であります。
そんなことから、全国の独身男性1,000人に実際に聞いたアンケートの結果をもとに、女性のモテ指数を算出するという携帯型の液晶ツールがバンダイから売り出されました。
名付けて「女試し。」。
「女試し。」は男性が女性にしてほしい行動・仕草・ファッションなどに回答していくと、「moteQ(モテキュー)」という IQ(モテ指数)が表示され、男ゴコロをどれだけ理解しているかが判るというツールで、繰り返しチャレンジすることで「モテ力(りょく)」アップにもつながるという代物です。
この基本の「女試し。」の他にも3つのモードを選択する事が出来るようです。
★ 仲間同士で指数の高さを競い合う「モテクイーン決定戦」モード。
★ 気になる男性との相性を測る「あなたで女試し。」モード。
★ 36種類のタイプに分類された男性を釣って集める(なんとヒドイ表現)
. . 「イケメン釣り」ゲーム。
女の子同士が集まった時にワイワイ言って盛り上がるのにちょうどいいオモチャなのかも・・・。
2月7日から発売の予定で、税込み2,499円らしいですよ。
『女試し。』の体験サイトも開設中です!
PCサイトは : コチラ
携帯サイトは : コチラから→ http://wpp.jp/moteQ/ →→→
あなたの男性に対する恋の偏差値(moteQ)がいくつなのか、やってみられたらいかがですか?おもしろそうですよ。(笑)
ところで、「男試し。」はないのでしょうか?
私にとっては、「恋愛」は女性にとって、という以上に最重要関心事なのですが・・・。
え? 私には奥さんがいないのか・・ですって? こうめいさんのように「私の家内はチェ・ジウ似」(笑)だなんて、そんなあつかましいことは口が裂けても言えませんが、ヨン様大好きなお愚ちゃまが約1名おりますけれど・・・。
お愚ちゃまがいるのに、「恋愛が最重要関心事」だなんて言って色男ぶるのはやっぱりマズイですかね?(ポリポリ)
オバマ氏にスピーチ術を伝授した女性
先日オバマ大統領のスピーチを支える若手ライターの記事を書きました。
その大統領就任演説を、オバマ氏と同じひな壇に上がって聞いた女性がいます。
オバマ氏に観衆との掛け合いで演説会を盛り上げるスピーチの手ほどきをしたというサウスカロライナ州在住の郡の民主党議員、エディス・チャイルズさんです。
黒人教会では「コール & レスポンス」という壇上の聖職者が発するフレーズを礼拝者が同じように繰り返す掛け合いがあります。
NIKKEIニューヨーク・河内真帆さんの記事によると、2007年にヒラリー・クリントン氏と民主党の大統領候補を争っていたオバマ氏は6月頃には人気投票で引き離されていました。
そんな中、サウスカロライナ州のある町を訪れた時には天候も悪く、集まった聴衆はわずか40人だったことがありました。その中で場を盛り上げたのがエディスさんでした。
彼女は聴衆の前に立ち、「ファイアード・アップ」(元気を出して)、「レディ・ツー・ゴー」(いくわよ)と、威勢よく叫ぶと集まった人々が同じフレーズを繰り返します。
不意を突かれたオバマ氏を尻目に、5分も掛け合いを続け会場は沸き返ったそうです。このフレーズは1960年代全米黒人地位向上協会の集会で盛んに使われたそうです。
その後、壇上から降りてきたオバマ氏は「僕の出番を乗っ取るつもりかい?」とエディスさんに駆け寄って破顔一笑したと言いますが、この時オバマ氏は観衆を惹きつけるヒントを得たと、後になって語っています。
「1つの声が町を変える。町が変われば州が変わる。州が変われば国が変わる。国が変われば世界を変える事も出来る。みんなで世界を変えよう」。
「ファイアード・アップ」。
これらのフレーズは、その後の「イエス・ウィ・キャン」とともに、オバマ氏の演説の締めくくりの定番となりました。
「演説で、大統領は私たち一人ひとりに助け合いと責任を求めた。今度は私たちが動く番」とエディスさんは言っています。
先日記事にした若手スピーチライターのファブロー氏にしろ、スピーチ術を伝授したエディスさんにしろ、このハワイ生まれ、アジア育ちの黒人大統領は、素晴らしい協力者に恵まれていますね。
なにもかも自分一人でやらなくてはならないduoさんには羨ましい限りです。(笑)
あっ!忘れていました。私にも1人いました。
思い出してよかった。もう少しで怒られるところです。(ホッ)
但し、ファブロー氏やエディスさんのような辣腕家ではありませんがね。それでも私にとっては、いないと困る空気のような存在の協力者なんです・・・。(笑)